肝臓がアルコールを分解するのに限界があるように、心がストレスを分解するのにも限界があります。
無理しないで下さいね。
どうもモネです。
写真はピンクベリーのクリスマスなんとかかんとかです。(なんも覚えてねえ)
#忘年会スルー
先日、このタグがネットを騒がせていたような気がする。
これってどうなんやろう。
今日はこのタグについて考えてみようと思います。
忘年会は出る価値無し。
朝起きて顔を洗うルーチンのように、年末が近づくと発生するイベント・忘年会。
結構な社会人が体験するイベントではないでしょうか。
その年の苦労を忘れるというのがその名の由来だそうですが、逆に苦労が増えると批判殺到。
賛否両論。
賛のほうは、普段喋らない人とも喋ることが出来る、本音で話せる、など。
否のほうは、めんどくさい、お酒を注いだり気を使わないといけない、上司の愚痴を聞かないといけない、会費が5000円くらいする割にその価値はない、などなど。
若干、否の方が優勢な雰囲気。
忘年会にマイナスイメージを持っている人が少なくないことが分かりますよね。
そんなところでモネはあまのじゃくなところがあるのでこう思ったんですね、
逆に、出ないほどの価値はあるのか?
忘年会への参加は半強制になってるとモネは感じます。
殆どの人が、やむを得ない理由がない限り出てるのに、そこで反抗するパワーを使ってまで忘年会をスルーし、どれだけのものが得られるのだろうか。と思うのです。
忘年会スルー派が10割となれば勝手に忘年会は消滅するはず、焦らず無難に、とりあえず召集されたら参加しとけばいいんちゃうという考え。
たしかに私も、忘年会に5000円の価値はないと思う。帰るのに代行を使えば8000円近くになる。もっとそんな価値ない。
800円くらいかな。せいぜい800円くらいの価値だと思う。
5000円の料理がいくら美味しくても、諸々と相殺されて800円くらいになると思う。
実際気を揉みすぎて料理の味がしないという感想を幾度と聞いてきた。
でも、断るか?と考えたら断ることに幾らの価値があるのか。
今のところ、それはあまり大きいようには思えない。
だから、参加したらいいんじゃないかな。
特に理由なく断って「変なやつ」認定されるリスクを5000円で逃げれるなら、無難な選択だと思うな。
過去に嫌なことがあったとか、蕁麻疹が出るくらい忘年会の雰囲気が嫌いという人にはあてはまらない考え方でしょうがね。
モネは会社で朝とかに「忘年会楽しみなんですよね〜」っていうホラをサラッと吹く程度には、忘年会に対する精神的余裕があります。
5000円の価値はないけれど。