私は騙されない。
なぜなら歴史に学ぶことが出来るからだ。
そう思ってました。
…そんなことないな(泣)
気づかないうちに飲み込まれてました…
SNS時代に言論統制なんてないと思っていたら、似たものにまんまとはまっていた
ネットが普及し、検索が当たり前になってから、
マスメディアに趣向を支配されているような感覚がなくなった。
興味のある事を発信している人を見に行く。
あくまでも自分が主体的になって選んだ情報を見ていると思い込んでおり、
第三者に操作されている情報を見ている感覚が無かった。
実は操作されていた?という事に気づいたのは
イーロン・マスク氏がTwitterの買収を完了したことがきっかけだった。
電気自動車メーカー「テスラ」、宇宙開発企業「スペースX」を軌道に乗せたマスク氏が、
上場以来毎年赤字を垂れ流し続けている事で名高いTwitterを買収すると聞いたときは、意図が分からなかった。
マスク氏は買収の理由として、Twitterが事実上「公共の広場」として機能しているにも関わらず、言論の自由が保障されていないことを挙げた。
言論の自由が保障されていない?
最初に横切ったのはトランプ氏の顔だったが、
どうやら一定のツイートの削除や、シャドウバンと呼ばれるアカウント凍結について様々な前例があるらしい。
他にも思い当たる節がある。
ある時を境にTwitterで表示されるようになった「おすすめ」
フォローしている訳でもない知らん人の呟きが日々表示されるようになった。
そこで何かに怒っている人のつぶやきを沢山見た。
「誰かの怒り」の対象は、主に政治や子育てに関するものだった
…子育てに関する愚痴を意図的に多くの人のおすすめに出した事は赦されざる事だと思う。
女子会で何度もその影響力の強さを感じた。
「Twitter見てると子育ては本当に大変そうだから、自分が子どもほしいなんて到底思えない。結婚に憧れはあるが、子どもはいらないと考えている。」と言っていた20代女子が一人や二人ではなかったのだ。
対して何のコメントもできなかった。
子どもが泣いたら怒鳴られるわ、危険、理不尽、政府は予算をかけてくれないわ、
それが子育ての現状だとTwitterで見て認識していたし、
それに勝るやりがいとか救われることとか、見たことも経験した事もない。
しかし、皆が子どもを産みたくないと感じる社会で本当にいいんだろうか?
経済の仕組みを思い出したら考えなくても分かる事だろう。
そう簡単にいかないのだったら、残酷だがあえて知らせなくて良い現実だってある。
発信したい人は発信し、知りたい人は検索する。それでいいのではないか。
マスク氏が買収を完了してから、何かに怒っている誰かがTLから一掃された。
毒が抜けたTLは、さながら物語の終盤のような場末感を感じる。
それまでのTwitterのアルゴリズムは、この国が国力を下げる一助となる影響を与えていた。
違う考え方をする人もいるかと思うが、
自分の思考とバックグラウンドをもとに考えるとそうとしか思えない。
ただ自分が怖いのは、あのアルゴリズムの中でなお、自分が選んだものを見てると思い込んでいたこと。